スポーツ基本法が成立しました。
そこには「スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことは、すべての人々の権利」と、明記されました。
スポーツは人々を健康な生活に導き、子供や若者に夢を与え、人を励ます力があるのは、皆さまご承知の通りです。
しかし、日本列島は今、人々の生活や健康に密接なその「スポーツ権」を国民から奪いかねない状況を抱えています。
福島の子供たちに目を向けてください。
子供たちは暑い中でも、長袖シャツにマスク姿での通学でした。外に出ても自由に遊ぶこともままならず、窓さえ開けられない学校生活が続いたのです。夏休みに入っても生活の改善は、あやふやでした。
私たちの子供の頃を思い出してください。
夏はたくさんの出会いの時間でした。
真っ黒になるまで海やプールで泳ぎ、野山を歩いて虫を採り、夜は空を見上げて花火や星を楽しむ……。そうした遊びやスポーツの自由な時間が、私たちの心身を育んだのではなかったですか。
今、福島の子供たちにそんな時間はありません。劣悪な生活環境を子供たちに背負わせてしまったのは、少し前を生きた私たちです。
日本のいわゆる原発社会が、たとえそれが能動的なものではなく、受動的なものであったとしても私たちに責任がないとは言い切れないでしょう。
この国は、芯から変わらなくてはいけないと考えます。それは子供を中心に未来を見つめ、未来の子供たちを失望させない社会です。
我が国のスポーツ環境と人を見つめる「スポーツ基本法」にのっとり提案します。
加えて原発から他のエネルギーシフトへの調査研究のスピードアップ化を図り、スポーツ基本法に記された「スポーツ権」を守る。
現在、脱原発からエネルギーシフトへ向けて、対立といっていいほど考え方がたくさんあります。一般人にとって視点をどこへ置き、軸足をどこにして体重をかければ良いのか分からない問題がたくさんあります。各論は異なっても、未来の子供たちに恥ずかしいものにならないようにすることの一点で皆さん心を集約しませんか。
脱原発したい……と思っても明日にすべてをストップできるほど単純な問題ではないことが分かってきました。代替エネルギーにしようとする火力発電にはCO2問題が大きい。危険もはらむ。要は、火力にたよるだけでは子供たちへの深刻な問題を先送りするだけだという見解もあります。
専門家の意見をきき、スペシャリストの意見を大切にしたくても、その専門家も対立し、私たちも本当に分からずに戸惑ったままです。
本当にどうすればいいのか分からないことだけが自覚されます。
ですから芯にすえるべきワードは「未来の私たちの子供」では、ないでしょうか。
ですから専門家にも一般人も皆全身を総動員して未来を考える。邪心や邪念なく、互いの意見や考えをきいてみる。そのためにもスポーツ人は心を一つにしませんか。